12.70年計画で会社を閉める |
生意気言って、どう頑張っても業界環境の存続が難しいという企業があります。その場合に、
無理をして何とかしようという発想もありますし、企業としての終焉を選択するという方法もあります。
最近では、企業を売るということが行われています。あくまでも自分達の力で閉鎖することの道を
選ぶということを考えてもよいでしょう。
その参考になるのが、鳥取県日野郡にある下備後屋近藤家です。
近藤家は、たたら製鉄で財をなし、全盛期は3万の人が働いていたと言われています。
この3万人を70年かけて整理していくということをしたのです。
1779年(安政8年)の創業ですが、合理的に手をつけるのは、1885年(明治18年)頃からであり、
それから70年で会社の整理を進め、戦後までかかることになります。
つまり、近藤家200年の歴史の中で、前半の100年は高度成長であったのですが、
後半の100年は事業縮小の連続であったということです。
近藤家が企業閉鎖の過程で残した会社は、「日立金属安来工場」「協和発酵」「日本クロム」です。
これらの会社を残したというよりも、なぜそれができたかということです。
それには次のようなことがあります。
1. 西洋式の製鉄技術に日本式(たたら製鉄)では勝てないことを早期に自覚した
2. 永い歴史の中で近藤家の社員に信頼関係があった
3. 高度な会計システムを永年行っていた
4. 将来のあるべき姿を考える番頭クラスが優秀であった
5. 企業の縮小は納得ずくで粛々と行われた
他のたたら製鉄の組織が他地域(とくに北九州)へ流れた人達が多かったのに対し、
近藤家はそのようなことは殆どなく、多くの人達は地元に根づき、
そして近藤家は林業家として今日まで生き残っているのです。
次回:2016年10月19日 掲載
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