2016年10月5日

【平松陽一】組織を動かす経営計画 12

組織を動かす経営計画


12.70年計画で会社を閉める

生意気言って、どう頑張っても業界環境の存続が難しいという企業があります。その場合に、
無理をして何とかしようという発想もありますし、企業としての終焉を選択するという方法もあります。
最近では、企業を売るということが行われています。あくまでも自分達の力で閉鎖することの道を
選ぶということを考えてもよいでしょう。

その参考になるのが、鳥取県日野郡にある下備後屋近藤家です。
近藤家は、たたら製鉄で財をなし、全盛期は3万の人が働いていたと言われています。
この3万人を70年かけて整理していくということをしたのです。
1779年(安政8年)の創業ですが、合理的に手をつけるのは、1885年(明治18年)頃からであり、
それから70年で会社の整理を進め、戦後までかかることになります。
つまり、近藤家200年の歴史の中で、前半の100年は高度成長であったのですが、
後半の100年は事業縮小の連続であったということです。
近藤家が企業閉鎖の過程で残した会社は、「日立金属安来工場」「協和発酵」「日本クロム」です。
これらの会社を残したというよりも、なぜそれができたかということです。

それには次のようなことがあります。
1. 西洋式の製鉄技術に日本式(たたら製鉄)では勝てないことを早期に自覚した
2. 永い歴史の中で近藤家の社員に信頼関係があった
3. 高度な会計システムを永年行っていた
4. 将来のあるべき姿を考える番頭クラスが優秀であった
5. 企業の縮小は納得ずくで粛々と行われた

他のたたら製鉄の組織が他地域(とくに北九州)へ流れた人達が多かったのに対し、
近藤家はそのようなことは殆どなく、多くの人達は地元に根づき、
そして近藤家は林業家として今日まで生き残っているのです。


次回:2016年10月19日 掲載

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