23.経営企画が近藤家を救う |
数多くあった、たたら製鉄企業の中で、今日でも経営がよく分かるのは、近藤家である。
それは、10万点を超える資料があるからだ。
近藤家では、商売を分析し、予測することが行われていた。
これが、今日言われるところの経営計画の役割を果たしていたのである。
たたら製鉄では、砂鉄から鉄を作るために多量の木材を使う。この木材を使う量を
確率高く把握する事が求められた。
そのために、精密な樹の測定、分析が行われていた。
それは、今日の測定、分析技術にも引けをとらないものであった。
創業1979年(安永8年)から100年程度の経営はほぼ右肩上がりの経営であり、1865年(慶応元年)には15ヶ所の鉄山を経営することとなる。
経営体制としては、管理部門に70人程度の人員を割き、経営効率を高めることとなる。
今日的に言えば、経営企画部門ということになる。
この経営企画部門が作成した資料が多いだけではなく、
経営の実体を明らかにしてくれるのである。
経営者の先見性とそれを支える(経営企画担当者)飽きる事無く検討した撤退計画は
今日に於いても参考になるものである。
次回:2017年4月5日 掲載
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