2024年7月30日

“子供達の絵”で会社を飛躍発展させている、社長のお話(前編)

“子供達の絵”で会社を飛躍発展させている、社長のお話 

~今夏(2024.7)大会講演への感想として①-1(前編)~

 

はじめに

全国経営者大会の開催が、今回で140回目(記念)だそうです。
ということは、1954年が初回に当たるわけで、敗戦の大混乱を経て、ようやく戦後復興が本格化し出した頃。
国による電力や鉄鋼といった巨大基幹産業の再建だけでなく、社会底辺から様々な企業が勃興し、
そうした新しい企業の活力によって日本社会全体が強く再興していく、
そうした時代の真っただ中。そこで日本中の中堅中小企業の、それも“大いなる野心と志”をもった
経営者や幹部の皆さんを支援するために、この大会が生まれた・・、ということ。
この全国経営者大会の『創業の志』が、ようやく理解できたよう思います。
今大会が終わり、一つ一つのご講演内容を振り返る中、改めて今世界が歴史的な転換点にあり、
日本においても“ビジネスの本質的なあり方”の大転換が起こっていることを
実感させられたよう感じています。全国経営者大会が70年の時を経て、あらためて新しい時代へ向け、
『創業の志』を踏まえた新たな一歩を踏み出す時が来つつある、と感じました。
それは、たぶん日本企業のすべてに当てはまる事、と思います。
そのことは言い換えれば、「同時代を一緒に生きて、志を持って悩み苦闘しながら、
未来への希望をもって頑張っている者同士の集まり」
こそが、まさにこの「全国経営者大会」なのではないか、
ということだと思います。日本の未来を期待するように、この大会のこれからを大いに期待する次第です。
と言うことで、今回もこれまで以上に大いなる気づきをいただいた大会だったわけですが、
その中でも特に、強く心に残ったご講演のいくつかをご紹介したいと思います。
まず初めにお話したいのは、宮田運輸の宮田博文社長のご講演です。
今「“ビジネスの本質的なあり方”の大転換が起こっている」と言いましたが、
まさに、そのことを強く実感させていただいたご講演内容でした。
私のつたない文章ですが、少しでもその素晴らしい内容をお伝えできればと思います。

 

講演タイトル:やさしい気持ちがみらいをつくる! ~今どきなぜ「宮田運輸」には人が集まるのか?~
宮田博文氏  ㈱宮田(HD) 代表取締役社長

「“子供たちの絵”で、会社を飛躍発展させている」と言われても、何それ?と
疑問を持たれる方も多いでしょう。でも本当の事なんです。自社のトラックに「子供たちの絵」を
ラッピングすることで、運転手の皆さんの安全運転の意識ややる気を自然に高めると共に、
社内全体の風土を活性化。その上社外の人や企業まで巻き込むことで、「コロナ禍でも増収増益を継続し、
社長就任当初年商25億1000万円だったのが、現在年商約50億円と倍の売上になっている」とのこと。
(現在67期、トラック倉庫一体での運営で拠点14か所。
後で述べますが・・実は経常利益率も3.4%から7%へアップしているそうです。)
また、新規社員募集においても昨年は18人採用に対して、180名の応募があり、本年は、
採用を3人に絞ったにもかかわらず、100名の応募があったとのこと。すごい人気ですね。
私が思うに、「子供たちの絵」を自社トラックにラッピングすることで、一番動機付けられているのは、
宮田社長ご自身ではないかと思います。運送業の抱える社会的な課題を踏まえ、
自社の使命を心の底から深く実感したことで、従来の運送業のありかたを超えた、
新しい事業のありかたを見出すことが出来、そのことへのチャレンジが、さらに会社を成長発展させている。
そんな姿がお話から、はっきり伺えた次第です。

どんなご講演内容だったか、簡単に振り返っていきたいと思います。

 

<宮田社長が語る、これまでの経緯>

宮田運輸は、昭和36年トラック一台で祖父が始めた会社。
(宮田社長が子供のころでも)家は貧しく、風呂もなく、母親は生保営業もしていたので、
ほとんど家にいないし、両親とも忙しく働きずくめの毎日。そんな中、自分はトラックが大好きで、
エンジン音で誰が返ってくるのかがわかるくらい。
また、配車計画を見てトラックに載せてもらうこともよくしたが、学校に行かないので、
母親からはよく叱られた。そして18歳(1988年)になり、高校卒業前に宮田運輸に入社。
ところがその時期、会社は主力取引先から、取引先の集約ということで契約を切られ、
危機的状況に陥ってしまう。それで、これまで取引の無かった「お酢の会社(の運送)」を
友人と二人の18歳コンビで担当することになり、そこで荷物が重く重労働の中、
他社が嫌がるような仕事も「にこにこ」なんでも引き受けることで取引を拡大していった。
(ちなみにその友人は、今専務になられているとのことです。)
その後22歳(1992年)で、親父から言われて、トラックを降りて事業所の所長に。
ところが、自分が今までやってきたことから、きつい仕事のやり方を上から目線で
部下にも一方的にやらせてしまい、職場の雰囲気も最悪で、言い合いやケンカもしょっちゅう。
そこで辞めていく者が続出してしまった。「お客様第一ではなく、本当に大事なのは、従業員ではないですか!」
と辞める女性社員に言われたことを今でも覚えている、とのこと。
それが、1995年阪神大震災が起こり、水の緊急配送を昼夜の別なくやらなければならなくなった時、
普段は不平不満ばかり言っていた社員が、現地に行って戻ってきたら、「今すぐ(また)行かせてくれ」
と言って、自ら進んで取り組んでいる姿を見て、はっと気が付いた。
「“人には誰かに役に立ちたい”と言う心がある。その心を大切にすることが何より大事」ということ。
そこから、自分の部下達への接し方も(少しずつ)変わっていったよう思う、とのことです。

 

―人身死亡事故をきっかけにー

それで2012年に社長になられたのですが、
その翌年に同社のトラックがスクーターバイクとぶつかり人身事故を起こしてしまいます。
その事故で亡くなった相手の方は43歳の男性で、小学年生の子供がおられたそうです。
一方、事故を起こしたドライバーも43歳で同様に子供がいました。
葬儀の席で相手の遺族からは叱責の言葉はなかったそうですが、社長としての責任を感じて
「精神誠意,尽くさせていただきます」と頭を下げてお詫びした、とのこと。
そしてその言葉が心に残って自分自身を責め続け、一時は
「人を不幸にしてしまうくらいなら、会社を畳んでしまおう」とさえ思い詰めたそうです。
その苦しい心を救ってくれたのは「人のやさしさ、つながり」。悶々と苦しんでいる中、
盛和塾の先生から「トラックを無くすのではなく、活かすことを考えてみては・・」
と言われ、はっとして、「思いが変わったとたんに、見えている世界が変わった」そうです。
それから、いかにトラックの安全運転を進めるか、いろいろ試行錯誤している中、
たまたま自社ドライバーが運転席に自分の子供が書いた絵を掛けているのを見つけ、
それを外の世界にも見せるようにしたらもっとやる気になるはず、と思い、
トラックの壁面に子供の絵をラッピングすることを思いついた、とのこと。
そして試しに何台か実際にラッピングしてみたら、・・・。

 

後編へ続く

 

文責:株式会社CBC総研 山川裕正氏

(講演依頼サイトの講師SELECTにとびます)

講師SELECT 山川裕正氏 プロフィール(講演依頼サイトの講師SELECTにとびます)