25.戦争が景気を動かす |
鉄鋼業界が景気の波を受けるのは、今もむかしも同じだ。
近藤商店が大きな景気の影響を受けるのは、西南戦争1877年(明治10年)後の
不況(松方デフレ)である。西南戦争に勝利したのは、明治政府だったが、
金・銀を持っていなかったために、兌換紙幣の発行ができず、
不換紙幣が出回ることにより物価が上がってしまい、これが不況となるのである。
明治16年あたりから不況により、鉄価が下落することになり、近藤家は
自助努力によりこれを抜け出すこととなる。
具体的には、人力から機械化により経費の削減と同時に生産量を増やし品質を
向上させるという手段を取るのである。明治が明るい時代であると言われた背景がそこにはある。
つまり、この時期においても、次の戦争があることは予測できたからである。
皮肉なものだが、征韓論を主張した西郷隆盛が西南戦争に敗れ、
そこから松方不況が始まり、その克服をするのが日清戦争である
ということも不思議なものである。
松方正義が打った手は、歳入の増加と歳出の削減であった。課税できるものには、
課税するということから、菓子税、謡曲税の新設や酒造税や煙草税の増税など
課税出来るものには手当り次第に課税したのである。
一方、経費削減では官営事業の民営化をおこなった。
日本銀行の設立を行ったがこれらのものが、効果として表れるのは時間を
待たなければならない。
次回:2017年6月21日 掲載
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