2017年5月17日

【平松陽一】組織を動かす経営計画 24

組織を動かす経営計画


24.技術革新の可能性を探る

市場から撤退する背景にあるものが、技術革新に自社のイノベーションが
ついていけないというものがある。
明治になり導入された西洋式製鉄技術が優位であるのは、歴史上明らかなことである。
その代表的なものが、釜石鉱山田中製鉄所(現新日鐵住金釜石製鐵所)である。
1880年(明治13年)官営の製鉄所としてスタートするが、経営が軌道にのらず
1883年(明治16年)に廃業したものを田中長兵衛が払い下げ、
釜石鉱山田中製鉄所となる。
いつの時代も、公的な経営が行き詰まると民営化なのかもしれない。

この釜石鉱山田中製鉄所は、1894年(明治27年)には、国内出荷高70%となる。
戦争需要があり、鉄の出荷量は伸び、たたら製鉄は成長をしながらも、
国内出荷量に占める割合は80%から30%に縮小することとなる。
このために近藤家は、明治3年位から釜石鉱山技術者を雇い入れたり、
当主寿一郎も釜石鉱山田中製鉄所を視察している。報告書にまとめ、
更に明治34年には製鉄業改良意見書を作成し、以後の経営改善に役立てている。
技術革新をする時に、何かのきっかけがあるはずだ。その徴候はどこかで
動き出している。それをつかみ、動いてみることである。思い切って動いてみる。
そして、まとめてみるということが大切である。 

よく企業30年説と言われるが、創業当時にはトップ自らが動き、新しいものを
吸収しようとする事がある。ところが、経営が安定してくると、人の話が中心となり、
やがて足を運ばなくなるということがある。どうやら足が動かなくなるのが、
あ創業30年位ではないかと感じるのである。


次回:2017年6月7日 掲載

平松 陽一への講演依頼はこちら